Disce libens.

disce は「学ぶ」。 libens は「喜んで、快く、楽しく」。 もっと豊かなワタシをめざして「ディスケ、リベンス」。

過去日記2015.6.27

 

 

 

 

 
 

法は誰のために?② ~~絶歌~~

これから書くのは、ワタシ個人のつぶやきでございます。
法学を学んだことはありませんし、正直言って興味もございません。
普通に生きてたら、法に触れるようなことはしないだろうし、
巻き込まれるようなこともないだろう、と考えている程度の
一般庶民のつぶやきです。


絶歌が出版されるとニュースで知って以来
いろんな人のいろんな意見をネットで見聞きしてまいりました。
圧倒的多数の批判の声。
ごく一部の擁護派の意見。


いろいろと見るほどに、この件に関する怒りの気持ちとは別のところで
純然たる疑問がわいてきました。

何なんやろ、この意見の違い。


んで、ふっと浮かんできたんですけど

「法が前提としているもの」が違うんじゃないの??



ワタシは昭和40年代半ばの生まれで
親は客商売の自営業をしております。
日本の片田舎で普通に善良に生きている人間だと思います。

で、その親がよく口にしていたのは
「恥ずかしいことすんなよ」

倫理・道徳に反することは、ヒトとして恥ずかしいこと。
世間体が悪い、お天道様に顔向けできない
そんな生き方はしちゃいけないよ、と言われて育ちました。

特別でもなんでもない、ごく一般的な考え方だと思います。

他人様に迷惑をかけるなよ
自分だけがいい のは恥ずかしいことだ
人間誰しも間違いはある
気づいて反省しているならそれ以上責めちゃいけない
今は分からなくても、後になれば分かる日がくる



で、少年法。これって、
自分のしでかしたことの意味を分からない年少のものを守る法ですよね?
ヒトとして成熟しておらず間違えてしまった者でも
成長し自分のしたことの意味が分かったときには深く反省するだろうと。
そのときに更正しやり直すチャンスを与えるためにある法ですよね。

でもさぁ、そもそも成長しても反省できないヒトだったらどうすんの?



日本の法律は、日本人のメンタリティを前提に成立していると思います。

福島の被災者が互いに譲り合う姿 が海外で驚きをもって報じられたように
テキサス親父さんが、これが日本人なんだぜ!と絶賛してくれているように
テキサス親父 俺が日本を愛する理由
他者を思いやり尊重する心 が日本人のメンタリティの大きな柱だと思います。
そういう性善説的なものを前提にして、日本の法律は成り立っているように思うのです。


でも残念ながら 中には元少年Aのように 成長しても反省などできないヒトもいるし
法が前提としてきた従来当たり前のメンタリティが通用しない犯罪もあるわけです。

法 を 見 直 す べ き だ と 思 い ま す 。

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