Disce libens.

disce は「学ぶ」。 libens は「喜んで、快く、楽しく」。 もっと豊かなワタシをめざして「ディスケ、リベンス」。

過去日記2015.6.23

 

 

 

 

 
 

法は誰のために?① ~~絶歌~~

法とは難しいものだと思う。


当時14歳だった と少年法で手厚く保護され
刑期を全うし罪を償った と社会復帰をなし
基本的人権表現の自由」だ と手記を書き
著者の権利だ と多額の印税を受け取る


一方で

まだ小学生だった我が子を奪われた家族は
さまざまな情報を実名のままに報道され
悲しみと喪失感のなかで 憐憫と好奇の耳目に晒された

二次三次に与えられる苦痛と 
続く苦悩は如何ほどのものだったろう

18年の歳月はどのくらいその傷を癒せたのだろう


そして突如として振るわれる
再びの暴虐
時を遡って甦る苦しみ


どうしてこのような目にあわなくてはいけないのだろう

何も悪いことをしていない人をどうして法は守らないんだろう



殺害の様子を 微にいり細にいり 描き出し
故人の受けた苦痛と恐怖を再現することで
遺族がまたしても感じる精神的苦痛

加害者によって 
あるまじき冒涜が行われたことまでもを公表することで受ける
耐えがたき恥辱

それらを無視しても「言論の自由」とやらは守られなくてはいけないのだろうか



巷では「サムの息子」法の導入の是非が検討され、圧倒的賛同の声が高まっている
私も もちろん賛成。

でも、本当に論じなくてはいけないのは

こうした出版行為そのものが「罪」にあたらないか、ということではないのか?



その昔 
「家庭内の問題だから」と言われて
泣き寝入りするしかなかったことが 
いまはDVと社会認識されている

その昔
「彼(彼女)は あなたが好きなだけだよ」と
取り合ってもらえなかったことも
ストーカー行為として犯罪認識されている

そのように 

被害者、遺族、関係者の承認を得ずに
加害者およびその関係者が
過去の犯罪について広く巷間に知らしめる行為は
犯罪なのだと認識されるようになってほしい



ペンは剣よりも強し  

横暴な権力から弱き者を守るためのペンであればよいですが
善良な人を 武力以上に傷つけるペンであってはいけないと思うのです。




ところで

エラそうな顔して、エラそうな文章書いてるこの人

土師さんの見解は、土師さん個人の見解であって、
被害者を代表する見解というわけではないだろう  だと??

同じような体験をしてから、言えるものなら言ってみな。

非難轟々の【元少年Aの手記『絶歌』】で軽視される「言論の自由」と出版の意義